芋水割り

立派な人間

宇宙、デービーバックファイト。

何の意味もない。全て。嬉しい、悔しい、おいしい、羨ましい、気持ちいい、しんどい。さまざまな事象に対する僕の情動はそう感じた方がDNAの複製に資するから、そう感じるようにDNAが意識を設計しただけだ(まあ結構バグあるけど)。全てDNAの複製に向かって誘導されているだけ。今この文章を考えている意識も、iPadを操作している身体もDNAに従属しているのであって、何を感じどう行動するのかはDNAが決めたものだ。今も僕は「こんなことを考えても虚しいだけだなぁ」と不快感を感じている。DNA複製に資さない行動だから回避を促されているんだろうか。意味がない。全て。

「考えてもしょうがないから直感に従って生きよう」も「いっそめちゃくちゃに生きよう」も「いっそ死のう」も意味がない。僕と僕を通り抜ける全てに意味がない。全てたまたま。在ってもいいし、無くてもいい。実際に在るけど、実質無い。在るけど無いのといっしょ。

恥、殺す。怒れ、俺。

怖い

 


恥をかくことが怖い

間違えること

物を知らないこと

考えが足りないこと

視野が狭いこと

身の程を知らないこと

貢献できないこと

迷惑をかけること

責任を取れないこと

 

 

 

考えているうちに腹が立ってきた。何でこんなに苦しい。お前らのせいで。恥を知ろうが腹は膨れないし、快感も生じないし、カスが俺の自己犠牲を掠め取る。得がないどころか赤字だ。俺の一方的な持ち出し。

 

 

 

ふざけんな死ね。死ね死ね死ね。

 


恥、殺す。不愉快だ。お前。恥という情動。そしてそれに“恥”という名前をつけて恥を恥として認識できるようにしたやつ出てこい。殺してやる。お前がいなければ俺のこれまでの四半世紀はもうちょっと苦しくなかった。

 

 

 

恥、殺す。失敗。間違い。恥。迷惑。責任。俺を萎縮させコントロールして搾取してきやがったクソ概念。徹底的に無視してやる。俺にとって俺の目に映る全ては俺の為に存在している。俺は俺の為に見て、聞いて、感じる。楯突く奴は懐柔する、さもなくば殺す。

 


恥、殺す。

備忘録、60歳の自分

求人サイトを見ながら考えた。60歳の自分は何をしているか。

何をしているかは問題ではない。その自分の35年後から逆算したときの“やるべきこと以外のこと”をやりたくないのだ。ものぐさな人間なので。

35年後のことなぞ予想しても無駄だ。35年前、1986年にインターネットは無い。今から35年後の2056年に世界がどれほど変化しているかについて推して知るべしだ。全く分からないことは分かる。

 


芸能の現場で働いているのは、好きな人たちのファンじゃなくて仲間にしてもらいたかったからで、自分の中に積極的なアウトプットを待っているナニカがあるわけではない。だから別に芸能じゃなくてもいいよう気もするし、ただ芸能の外に僕の関心を惹きつけるものもない。

 


ただまあ現状に満足していないから求人サイトを眺めているわけで、でもこういうのを見ていると指針がグルグル定まらなくなってくる。自分はどこに向かって歩いているのか。この方角に歩みを進めた先に納得はあるのか。

 

 

 

ただなんとなくの方角の予想は立てられんじゃないか。どういう人になりたいか。どういう人の近くにいたいかは時代が移ろっても変化が少なそうだ。

 


そして思い返すと、「あぁ僕はこんな人になりたい」と思った人は過去にひとりだけいた。そんでそれ以降そんな風に思う人とは出会っていない。

大学時代の家の近くのバーテンのおっさんだ。

 


昼にキッチンのバイトをして夜に黒ラベルのビールを飲ませたり飲まさせられたりして、ドラムを叩くときとアイドルのライブを観に行くときだけ店を閉めるおっさん。バンドマンとバーテンという3大クズ職業のうちの2枚をブチ抜いているが、きっちり娘ふたりを育て上げている。男気のある人だ。あと温厚で優しい。

 


とりあえずはあのおっさんを目指すって方向で日々を積み上げていくのがベターなんだろう。

バーを開く。そんでこれはついでだけど、ちょっとしたステージがあると良い。娘を育てる(息子でもいい、というかまあ性別をふたつに分ける世の中じゃないか今は)。

自己否定の薪を棄てる

指針は“如何にして、より快適になるか”

 

自己否定を原動力にしない。

 

「やらなきゃ。」は燃費が悪いから、すぐガス欠になる。

 

節約。勉強。練習。

 

より快適になるため。まあやってもやらなくてもいい。

 

 

しかし今まで、どれだけ自己否定頼みで生きてきたことか。確かに達成できることは多かったが。

ダセェ思考の癖が芯まで染み付いていやがる。

ご冥福アンチ

また有名人が死んだ

 


そしてまた、、、いる!!!

 


ご冥福を祈ってるヤツが!!!

 

 

 

キモ!!!!!

 

 

 

 


「ご冥福をお祈りします」

 

欺瞞に満ちた言葉だ。

 


まず「ご冥福」って状態がどんな状態かよく分からない。

 


死後の世界での幸福っていうことらしいが、いやもういいよそんなのは。無いんだから死後の世界なんか。幸福っていうのも具体的にどんな状態かよく分からんし。無いものの話すんなよ。

 

 

「お祈りします」っていうけどホンマに祈っとるんか。あと祈るとは?どういう行為なんだ?

 

 

 

いや「ご冥福」なんてものは無いけど、故人を失った悲しみが深すぎて、なけなしの希望にすがりつきでもしなければ立っていられない人が、震える声で「ご冥福をお祈りします」と唱えてしまうのなら分かる。

 

 

 

ツイッターに書くなよそんな言葉を。

楽にならない

楽にならない

 

日々

 

焦っている

 

安心できない

 

お金を生み出す技術を持っていない

 

東京にきて3年くらいたつが、特に何もできない

 

いや、まあ、知っていることは増えたが

 

できることは、無い

 

遊んでいるからだ

 

いやまあ遊びたくて東京に来たんだしね

 

ちゃんと当初の予定通りに生きているからまあ悪くない

 

そろそろできることがほしい

 

食い扶持が、欲しい

 

勉強と練習をするか

 

修行をしよう

 

人に指導されるのは嫌いなので、独学でやるしかない

 

優先順位としてはなんだろうか

 

映像だろうな

 

それができれば食いっぱぐれなかろう

 

映像

 

好きなテレビに映っているものが全部できるようになれば十分だろう

 

映像をやっていけば音響、撮影、デザイン、も結局勉強することになろう

 

人に聞きたい時は、弟子入りするんじゃなくて、イベントにしちゃおう

 

きとかのメンバーとか、かわいい女の子を教え子にして専門家を呼ぼう

 

とりあえず目の前のことをやりながら、時間を作って勉強していくしかない

 

楽になりたい

 

1日のうちに5分でも自己研鑽にあてることができれば、明日の自分は今日の自分よりいくらかマシだろう。一年後の自分は今よりいくらかマシだろう。

 

一日何もしなければ明日の自分は今日と何も変わらない。一年後の自分も今と何も変わらない。恐ろしい。恐ろしい。本当に恐ろしいので2回書いた。

 

しかし、わずかずつでも自己研鑽すれば一年後の自分は今よりいくらかマシになっているだろうという予測が立つのは大きな希望だ。生きる力が湧いてくる。

 

思えば東京に来て間もない頃の自分はとにかく何もしたくなかった。何もしないをしたかった。ズタボロに疲れ切っていたのだろう。

 

もしかしたらそれがようやく癒えてきたのだ。手を動かす気力が芽生え始めている。

 

もう25歳。間もなく26歳。だいぶ時間がかかってしまったが、やっと歩き出せるかもしれない。

 

 

『Permission to Dance』の構文迷宮から脱け出せない

BTSファンの方がこの記事を読むと非常に不愉快に感じることがあるそうです。僕もBTSを貶める意図を持ってこの記事を書いた訳ではないのですが、この記事が負の感情を人に起こさせるのは悲しいので、読むか読まないかの判断を各自でしてください。しかし僕はこの記事を楽しみながら書いたのも事実ですし、読んで楽しんでもらえる層がいるだろうとも思います。

なぜこの記事を不愉快に感じる層がいるのか。自分は何を面白がっていたのか。自分のどのような態度を修正すべきなのか検討し、記事の末尾に追記しました。

 

 

 

 

 

 


BTSが今年の7月にリリースした『Permission to Dance』が何を言いたいのか分からない。お手上げ。宇宙を彷徨うカーズになった気分だ

 


いや、なんとなくなら分かる。

 


「うるせぇ!!!踊ろう!!!!!!!!!

  \\どん!!!//

 


 お"お"!!!!!!!!!!!!!!!! 」

 


である。

 


「コロナだから踊っちゃダメだよ…」と建前で本音を隠す僕たちに向かって「でも踊りたいんだろ?(イケボ)」と防弾跡部が『破滅への輪舞曲』を迫ってくる。そんな曲である(そんな曲ではない)。

 


ここで注意すべきは、筆者が執拗にジャンプ漫画で例えていることには何の意図もない。ただジャンプが好きなだけである。

 

BTSは歌う。
サビの冒頭で“I wanna dance!”

サビの最後に“We don't need permission to dance!”

アーイェー!ダンスダンス!

 


ブラザー魂(ソウル)である。なんとなく「踊ろうぜ」と主張していることは分かる。キャッチーなメロディー。自然と体が横に揺れてしまうポップなトラック。ジョングクの整ったお顔。ハッピーバースデー。十分だ。全てが超気持ち良い。

 


でも分からない。英語が。特にサビの。俺はBTSの全てを正確に理解したい。

 


AメロBメロはまあ良い。分かる。

 


“It’s the thought of being young

When your heart’s just like a drum

Beating louder with no way to guard it”

→踊りたいんだろ?

 

 

 

“When it all seems like it’s wrong”

→でもコロナが…

 


“Just sing along to Elton John

And to that feeling, we’re just getting started”

→踊りたいんだろ?

 

 

 

“When the nights get colder

And the rhythms got you falling behind”

→でもコロナが…

 


“Just dream about that moment

When you look yourself right in the eye, eye, eye”

→踊りたいんだろ?

 


AメロBメロはずっと「踊りたいんだろ?」と挑発しているだけである。何も分からないことはない。全て分かる。

 


問題はサビだ。僕はサビが分からない。

とりあえず文字通りに読む。

 


“Then you say I wanna dance”

→「(素直に自分の気持ちを見つめると、)おまえの次のセリフは 踊りたい という。」

いきなりのジョセフ・ジョースターロケットスタートである。直前のwhen節が従属していると解釈(whenとthenが対応してるっぽい)して一応括弧内に書いた。

要は「踊りたいんだろ?」である。

 


“The music’s got me going

Ain’t nothing that can stop how we move yeah”

→「音楽にノッて体が動いてしまう 誰にも止められない yeah」

おやおや身体は正直だねぇと煽ってくる。BTSは根っから攻め気質だ。

要は「踊りたいんだろ?」である。

このあたりからより「(踊れよ)」という威圧感が増してくる。

 


“Let’s break our plans

And live just like we’re golden

And roll in like we’re dancing fools”

→「理性を飛ばしてバカになれ〜!(超訳)」である。

突然アリーナ席に向かって叫ぶももクロになる。

 


“We don’t need to worry

‘Cause when we fall we know how to land”

→「落下してみないと着地の仕方は分からない。だから大丈夫だ。問題ない。」

ひどい。とにかく「後先考えずに踊れよ」と崖から突き飛ばそうとする。イーノックは他人を突き落とさずに自分で飛び降りた分まだマシだ。

 


“Don’t need to talk the talk, just walk the walk tonight”

→ココ!ここが分からない!とりあえず他の和訳サイトとかと同じように解釈する。

前半の“〜 not talk the talk, 〜 walk the walk ”は口先だけで終わらせずに有言実行しようという慣用句である。“need”は状態動詞で命令文になることは基本無いので主語にYouを補って(適当)、walk ~ tonightは命令文として「ただ口に出すだけじゃなくて、さあ今夜実行しよう」となる。

 


何を実行するのか?

 


もう考えるまでもないが。「口だけ」というのはサビ冒頭の“Then you say ‘I wanna dance’”であろう。まさに“You”たちは「踊りだい!」と、エニエス・ロビー編で初めて心の奥底に眠っていた本音を吐露したニコ・ロビンの如く叫んでいる。“want”とは語源を辿ると元は「欠乏」であり、ロビンはまさに「死」を目前にして「生」を求めたのと同様、“You”たちはまさに“dance”が欠乏している状態である。“I wanna dance”と口で言っているだけで、まだ“dance”は実行に移される前なのだ。

要は「踊れ!!!!!踊りたいと言えー!!!!!」と繰り返し主張している。

そしてこう締めくくる。

 

“'Cause we don’t need permission to dance”
「俺たちが踊るのに何者の許可もいらねぇんだから」

 


鮮やかなタイトル回収である。これが『Permission to Dance』何も分からないことはない。分かる。

 


しかし懐疑的な気分を拭いきれないのだ。僕は。この曲の歌詞に対して。なんだか躓いてしまう。

 


最初僕がなんとなくこの曲を聴き流した時、サビの最後のところを上に示したのとは別の解釈で読んだ。

 


“Don’t need to talk the talk, just walk the walk tonight  'Cause we don’t need permission to dance”

→「ただ今夜、あてもなくおしゃべりして、あてもなく歩くことに、誰の許可もいらない だから踊ることにも許可なんていらないんだぜ(踊ろうぜ)」

 


これはこれでそれっぽくない?

“need”が立て続けに登場する。英語とは同じ単語を繰り返すことを避ける傾向にある言語(と僕は習った)なので、敢えて同じ語を繰り返すセンテンスには色々連想してしまう。僕は“need to talk the talk”において“need”の後ろで“permission”が省略されているのだろうなと思った。同様に“just walk”の直前に“we don't need to”が省略されているのだろうと。受験英語であれば鉄板の流れだ。

そしてこの予測をもとに解釈を進めていくと、“〜 not talk the talk, 〜 walk the walk ”も慣用句の意味ではなく、まさに「ただ話す(ことそれ自体の動作)」「ただ歩く(ことそれ自体の動作)」という風に読むと意味が通っていく。そして“'Cause”だ。僕はなんとなく勝手に“This is because”が省略されてんだろうなと思った。だってそうしたら意味が通るからだ。純ジャパの俺は知っている。「英語ネイティブスピーカーもけっこう無茶なことするときあるよね」ってこと。“This is because”→“'Cause”!そんな用例聞いたことないけどたぶんいける!

 

言いたいことは分かる。“〜 not talk the talk, 〜 walk the walk ”という慣用句を勝手に文字通りの意味で解釈した根拠があまりに弱い。でも“talk the talk”というフレーズは、あの宇宙的大ヒット曲『Dynamite』の歌詞にも登場するのだ。

 


“Word up talk the talk just move like we off the wall”

→“Word up”、「いぇーい!」みたいなこと。“just move like we off the wall”、「なんかヤバいことしようぜ!」みたいなこと。

それに挟まれる“talk the talk”である。推して測るに「騒げー!」みたいなことであろうよ。こんな陽のコンテクストで、「口先だけ」みたいな否定的なニュアンスは読み取るべきじゃない。そんな風に去年のBTSはこの特徴的な“talk the talk”というフレーズを歌ったのだ。このフレーズをBTSは肯定的な意味合いに捉えている前例があるのだ。

 

そしてもうひとつ。韓国語には同じ言葉の名詞と動詞を連続させる表現を好むという傾向がある(ように見える)(超主観的な予想)。

例えば韓国語で「踊る」は“춤추다(チュムチュダ)”となるが、“춤”が「踊り」という名詞で、“추다”だけでも「踊る」という動詞なのだ。これと同様に、同じ言葉の動詞と名詞を重ねてひとつの動詞のフレーズとして使用するという事例は韓国語において多く観測されている。「踊りを踊る」も「踊る」もだいたい一緒なのでは?外野からは想像のつかないニュアンスの違いはあるだろうが。

そしてこのことから、韓国語ネイティブスピーカーにとって、“talk the talk”は、もうほぼ“talk”なんじゃないだろうかという予測を立ててもギリ怒られないのではないの?汗汗

 


以上の理由から、『Permission to Dance』内の“talk the talk”というフレーズの意図するところが僕には分からないのである。“talk”と連動する“walk”の意味も。そして“to talk /to walk”の直前に“permission”がいるのかいないのかも。迷宮入りです!対戦ありがとうございました!

 


もういっそ、「踊るのに許可はいらない」なんていう回りくどい言い方でなく、「Let"s Dance!!!!!!!! foooooooo!!!!!!!」みたいに歌ってくれよ!

 


でもそんな奥手なBTSのことも愛してるぜ…

 

 

 

 

 

 

追記。

正直、ネガティブな反応があった瞬間に、さっさとこんな記事消してしまいたかったのですが、何がダメで、何がダメでなかったかはしっかり検討しないといけないと思いました。必要十分なだけ謝るために。

 

まずこの記事はたしかに終始穿った目線と底意地の悪い態度で曲の歌詞を解釈していっています。

ただ僕のおこなった解釈は当該楽曲やBTSというコンテンツ、メンバーを貶める意図は一切ありません。

実際こんな風にも読めるかもしれないよねという意見も変えたくない。

 

しかし、下品で侮蔑的なニュアンスを持つ言葉で注目を引こうしている箇所も実際あるし、それはやはり、偏見やハラスメントを助長し社会的に悪影響があるので修正します。ごめんなさい。

 

でもたぶんそこを修正しても負の感情を抱いてしまう人はいる。

 

それはそのような人たちがメンバーの人柄や、アーティスト活動の哲学を深く愛しているからなのだろうと思う。

新型感染症を通して地球全体が重苦しい雰囲気に包まれるなか、この『Permission to Dance』という曲は、「手を取り合ってこの苦境を乗り越えよう。そして家族や友人と音楽を共有する未来を取り戻すための勇気を出そう」という愛に溢れたメッセージのこもった楽曲である。

そして、そのメッセージにまさに勇気づけられた人々にとって、それを小馬鹿にするように見える(本当に馬鹿にする意図は無い)言説は許しがたいだろうと思う。

 

ただ誤解されたくないのは、僕はこの曲をリリースされて以降、今日に至るまで、本当に頻繁に聴いているし、大好きな曲です。BTSのことも本当に好きなのは間違いない。定期的にMVを見返すくらい。そこは誤解されたくない。

ただ、僕の興味の中心は『Permission to Dance』、ひいてはBTSの活動のメッセージにまつわる側面にはありません。

 

ダンスミュージックを研究し尽くした果ての刺激的なトラック、色彩鮮やかな映像演出、洗練されたボーカルとダンスのテクニック。そこに感動しています。

 

そして何度も繰り返し視聴しているうちに、歌詞の内容について、ピースフルでない読み方もできるなぁ、複数の解釈ができそうだなぁと、言葉遊びを楽しむなかで、この記事を書きました。

 

繰り返しますが、BTSや『Permission to Dance』という楽曲を貶める意図はなく、作品の歌詞という部分のみを切り取って色んな角度から見て遊んでみただけなのです。

 

この記事に書いてあるようなことをBTSは言っていないという批判に僕は全面同意します。BTSこの記事に書いてあるようなことは言っていない。

BTSと『Permission to Dance』はとても美しいメッセージを発信しているのに、斜めから見たら、演者の意図と異なる別の読み方ができる。それ自体は絶対に楽しい。

 

正直、その物事の多面性を切り分けずに、不愉快になったと怒る人には気の毒だと思いこそすれ、やっぱり僕の態度は修正したくない。でもあなたと僕はこれ以上関わっても得がないので、お互い上手に世界を住み分けていきましょう。