芋水割り

立派な人間

漫才作るの楽しい

M-1のためのネタを考えるのが楽しい。好きな芸人さんたちのフレーズをパズルみたいに組み合わせて遊んでるような感じ。ウケてしまったらどうしようとワクワクする。

そんなことを考えながら夜になると「お笑い芸人になっちゃおうかな♪」って思う。みんなも経験がおありになるでしょ。

僕自身業界のはしくれで働きながら、なんとなく"売れ方"や"稼ぎ方"みたいなものは想像がつく。ひととおりの戦略を練ってみる。色んなアイデアが浮かぶ。

 

いつものことだ。売れるまでの妄想は楽しいんだけど。売れた後に発生するであろう問題に思い至ったところで全身に急ブレーキがかかる。ここまでがワンセット。ピーターパンシンドロームルーティーン。

 

50歳、60歳まで現役で続けるって無理。加齢によって体力も思考力も落ちていく。それでいてエンターテイメントは常に飽きられ続ける。アップデートの要請から逃れられない。いずれ次世代にまくられる。テレビ観てれば分かる。

そもそも今の社会の豊かな状態が自分が死ぬまで続く保証もない。社会に余裕がないとき、カルチャーにお金は分配されない。

 

スターの栄光は華々しいけど。それだけに短い。早くに売れたとしても、裏方に回ったり、次世代を育成するっていうことになっていくんだろう、ほとんどの場合。そして、夢追う若者を取っ替え引っ替え消費して糊口を凌ぐのだ。

 

エンタメっていうのは結局どこまでいこうとファンビジネスで、心に不足感がある人から搾取するか、余裕がある人から施しを受けるっていう生き方になる。お金の出どころは元を辿ればそのふたつだけ。風俗といっしょ。

それを生業にするのってちょっとあんまりだな。人生に対して成熟した態度とは言いにくいか。「末期哀れは覚悟の前」って言葉は重い。

 

エンターテイメントってやっぱり社会の循環の歯車を動かしていない。米を作ったり、電気を供給したり、算数を教えたり、していない。人間社会の維持に与している感覚が得られにくい。生計を立てられたとしても、どこか後ろめたい気持ちを引きずりながら生きていくことになっていきそうな気がする。

 

好きだし関わってはいきたい。ただ、それより先に社会の循環の中にある仕事で生計を立てた方が精神的に安全だ。そして余った時間のなかでTVer観たりDJコントローラーで遊んだりしていくのが健康的なんだろうと思う僕は。長い目で見たときに。

 

あ、でもエマワトソンが国連でジェンダーレスを呼びかけたりとか、BTSが大金寄付したりとかそんなレベルの話は別だな。エンタメによって巨大な注目を集める人は社会を前進させられる。かっこいい。でも僕はそれにならなくていい。

“幸せ”、無い説

なんか最近ちょっと皆んな、“幸せ”って言葉を使いすぎじゃない?

 


あちこちオードリー観ていたら屋敷さんがM-1決勝行ったり地上波で冠番組持ったりしてて、めちゃくちゃ夢叶って金もあるけど忙しいし欲しいものも無いし、これ幸せなんかな?って言ってた

 


いっしょに出ていたこじるりも「一回自分にとっての幸せと向き合いたい」とかなんとか言ってた

 


左利きのエレンの作者も若者向けのネット記事で幸せの話をしてた。

 


幸せ、幸せ。

 


うるせーーーーー!なんか

 


世の中を見渡してみると、幸せについて具体的な共通認識はない。有史以前からありそうな概念なのに。宗教がよく幸せについて語ってるし。何をもって「はい、あなたはいまをもって幸せです」という根拠、条件とするのか。決まっていない。

 


「幸せとは何なのか」長い長い期間、たくさんの人が考えたであろうはずである。それでも決まらない。はよ決まれや。ダルいわ。ほんま

 


“幸せ”とは何なのか

 


物質的に恵まれていることは“幸せ”を担保しなさそうだ。毎日ネットニュースの見出しになるクソデカスポーツ大会の幹部のみなさんはさぞたくさんの物を持っているんだろうが、倫理を崩壊させてまでモノと金に飢えている。

 


夢、目標の実現も幸せとは関係がない。

上記のニューヨーク屋敷さんは夢を叶えて幸せを見失っている。

 

 

恐ろしいことに、目標というのは達成した瞬間に次の目標が浮かび上がってきてしまう。 例えば大好きな人と大恋愛の末に結婚したとして、そこで人生は終わらない。その婚姻関係を維持していくという課題が立ち現れる。

 

 

 

 


解答が無い。幸せについて。

 

 

 

 


よって、唱えます。

 

 

 

 

 

 

“幸せ”、無い説。

 


言い換えます。

 


“幸せ”、「今の自分、に足りない(と感じる)ものを持っている架空の自分の状態」説。

 

 

 

今の自分に足りないものを持っているということが幸せな状態なのであり、今の自分という存在は架空の未来の自分から比べて常に足りないので、今の自分というのは常時不幸なのではないか…!

 


幸せ、、、それはファンタジー、、、

ケモ耳ロリ巨乳美少女みたいな、、、そんな存在。

 


人間は歴史上だいぶ長いこと「メシが食いてェ…、メシが食えたら幸せだ…(メシを食えないまま死ぬ)」「病気になりたくねぇ…健康になれたら幸せだ…(病気で死ぬ)」って感じだった。シンプルで良い。今は飯も食えるし病気もだいたい治るから、足りないものが多種多様に枝分かれして複雑になって大変になっちゃった。

 


だから幸せについて皆んなよく分からなくなっちゃったし、神秘的で魔法みたいに呪いみたいになってる。人を惑わせる。

 

 

 

幸せとは没頭することだ みたいな言説もかつて見かけた

 

 

幸せは不幸を基準にした比較を前提にしているから不幸のことを考えなくなれば不幸じゃなくなる→幸せ

ってことなんだろうか。

 


女子中学生が好きなJ-POPじゃないんだから。大好きなあの人に振り向いてもらえないから出会わなかったことにするみたいなことを言っちゃってるよそれは。

 

 

さてこれは誰のためでもないエッセイなので、これから好き勝手に論理が飛躍して、それについて例証をサボろうが誰も何も文句が言えないのだ!

 

 

人間っていうのは足りないものを強く追い求めるエネルギーに突き動かされることで生態系のトップに立ったし。ということは不足、不幸が人間を人間たらしめているな。

 

人間は不幸だし、不幸だからこそ人間なのだな。


幸せを追い求めることは種の保存のための戦略であり、種の保存のために人間は不幸であることを選んだ。不幸であることこそ人間が人間らしく生きるということですな。

 

なのでもう、幸せになる方法についての議論は禁止です。無駄なので。

 

自分は幸せだと主張してくる人間がいたら、思考停止しているだけです。考えが足りていないのです。それか自分が不幸なのに耐えられなくて自分を魔法にかけているか。

 

不幸を前提としてこれからどう生きていくかの議論を深めたいです僕は。ポジティブに。

 

今日新宿で銀兵衛の小松さん見かけて、うわ銀兵衛だっと思ってガン見してたらギャルと正面衝突しそうになって申し訳なかった。明日も朝早い。眠い。マヂカルクリエイターズとこれ余談なんですけど終わって悲しい。チャンスの時間にランジャタイが出るたび面白い。今週のキョコロヒー面白い。あとラランドのラジオめっちゃ聴いちゃう最近。今更ラランド好き。それ以外の時間はブラックピンクとアイズワンずっと聴いてる。KPOPとJ-POP交互に流すDJイベントやりたい。スピーカー据え置きのレンタルスペースとか借りて。

この世、面倒と面倒のトレードオフ。無気力を殺す

(前半はダサインキャ焼き直し、インキャ口(いんきゃこう)に膾炙しまくりな内容ですが、後半は個人的にまだ言ったことがないことを言っています)

 

 

 

剥き出しのオードリー若林さんと対面するとき、どうしても自分自身のことも振り返ってしまう。


若林さんはずっと向き合っている。足掻いている。かっこいい。

一方その頃、自分はずっと逃げている。向き合えない。

 


マズい。良くない。

 


これからの人生について考えよう(何回人生について考えれば気が済むんだよお前はよ!!!!)

 


ハタチ過ぎた頃から今までの間、隅々まで自分を点検してきたが、理想の自分などは特にない。


有名になりたい?尊敬されたい?人の役に立ちたい?おいしいものが食べたい?セックスしまくりたい?

「いやそうなったから何だよ」

「キリがないだろ」

 


冷めてしまう。

 


生きる意味、使命などは見つからない。ただ、本能として死にたくはないというのはハッキリしているので、しばらくの間、死ぬまでは生きる。

 


よってとりあえず、「面倒や不愉快からとにかく逃げる」を指針に生きてみた。

 


この生き方を始めた頃は、「好きなことして生きていく」というYouTubeカルチャーへのカウンターで、「嫌なことはしないでも死なない」が流行っていたのでそれに乗っかった。プロ奢られヤーとかえらいてんちょうとかのやつ。自分に合っている気がした。


大学卒業後に東京に来てしばらくは、その指針に則ってかなり愉快で機嫌良く過ごしていた。

 


が、壁にぶち当たった感覚がある。

 


とにかくもう何もやる気がしないのだ。マジで。何かに挑戦しようにも面倒が勝つ。動きたくない。手を動かしたくない。代わりにやったことと言えばとにかく、観る、聴く、読む。消費!消費!消費!受動的な消費!

 


「面倒を避ける」を突き詰めていけば当然そうなる。能動的に動けばエネルギー消費が激しい。エネルギー消費が激しいことは煩わしい。「如何にして動かないか」に収斂していく。

 


その結果、僕ちゃんの取った選択はこうだ!逃避!回避!無責任!

 


そして思った。いま一度この「面倒からとにかく逃げる」というテーマと向き合う必要がありそうだ。これは勘だ。

 

 


どうもこの「面倒」というのは一筋縄でいかなさそうである。

 

 


そしてこんな仮説をたてた。「面倒」には「短期的面倒」と「長期的面倒」の2種類がペアになっており、両者からの回避はトレードオフのような関係にあるのではないかと。

なんか思いついたから言うけど、x軸を短期的面倒の回避、y軸を長期的面倒の回避としたときのy=1/x(y>0,x>0)の曲線グラフみたいな。そんな感じの。


例を適当に羅列するとこうだ!

※「面倒」という言葉に「不愉快」、「不満」、「不具合」のニュアンスも含ませています。

 


〈短期的面倒〉

・動く、身体的な動作全般

・計画的に行動する(理性が命令する行動⇔本能的とか生理現象からくる行動)

・目の前のタスクを処理する

・技術習得のための練習(英会話習得するのために英単語をおぼえるみたいな)

・筋トレ

・人に挨拶する(僕ほんと挨拶苦手)

・不愉快な人間と付き合う

など


〈長期的面倒〉

・無計画な生活によって無駄な出費が嵩む。それを賄うための労働。貯金できず大病や事故、冠婚葬祭に対応できない

・人から信頼を失うことによる孤立

・先延ばしのチリツモで肥大化したタスク

・習得したい技術をいつまでも身につけられないことによる不満、自己嫌悪の感情

・運動不足による体力と筋力の低下

人間力、問題処理能力の低さの自覚から意中の女性に恋愛的アプローチができない(ごめんなさい、身の回りの人には日ごろ「恋愛の優先順位が低い」とか「枯れちゃった」とか言ってカッコつけてるんですが自分に自信がないだけです)

など

 

〈短期・長期的面倒のペア〉

・買い出し調理皿洗いが面倒なので外食する(短期的面倒の回避)

→出費が嵩み貯蓄が減る(長期的面倒の肥大化)

 

・老後に腰が曲がらないように(長期的面倒の回避)

→いま筋トレをする(短期的面倒の肥大化)

 

 

 

 

 

つまりだ。

 

 

 

僕は思い知った!

 

 

 


面倒というのは絶対になくならない

 

 

 


短期的面倒を回避すれば長期的面倒が肥大化するし、and vice versaなのだ!

 


クソ!騙されていた!

 


「好きなことして生きていく」も「嫌なことしないでも死なない」も嘘つきだ!なんか両方とも信ずるものを一切の苦しみから解放してくれそうな感じがする!クソが!カスめ!

 

面倒の輪廻から解脱して心安らかに生きるみたいな夢を見ていた!


繰り返す!面倒というのは絶対になくならない。

 

 


ということはだ。

 


「面倒なこと、嫌なこと、を、する」というのは人生において当然の前提なのだ。そこからスタートしなければならない。手を動かさなければならない。

 


対をなす「短期的面倒」と「長期的面倒」のペアの間に優劣をつけ、回避したい方の逆は引き受けなければならない。引き受ける覚悟を決めなければならない。

 


人生に向き合え!自分よ!全ての面倒からは逃げられない!諦めろ!

 

 

 

それでは具体的な面倒について「回避と引き受け」の振り分け作業をやっていきます!以下に綴るのはまさに明日以降の僕の生活だ!

 


お集まりの紳士淑女の皆さま。

兎にも角にも絶対に回避したい面倒ランキングの発表です。第1位は。

 

 

 


「眠い」

 

 

 


眠いという身体感覚ほど不愉快なものはないですものね〜。絶対に避けたいです。

 

 

 

眠気と対をなす面倒は以下の二点となりそうです。

 

・7〜9時間の睡眠時間の確保。計画的入眠。

・基礎体力を維持するための定期的な運動、栄養バランスに配慮した食事の継続。

 


め、めんどくせぇえええええええええええ!面倒くさすぎる!死んだ方がマシだ!でも死にたくない!引き受けざるをえない!

 


ちなみに眠気は「短期的面倒」に、眠気を抑えるための健康管理は「長期的面倒」に分類されます(僕調べ)

 


続きまして。兎にも角にも絶対に回避したい面倒ランキング第2位の発表です。

 

 

 


「労働」

 

 

 


労働ほど人間の動物的本能的行動から逸脱する営みはありません。最小化したい。

 


労働の回避によって肥大化していく面倒としては

 

・低収入。倹約。

・社会的立場の低下

 


負荷の小さい労働のほとんどは収入も低いので。シクシク。将来的な事故や大病に備えるため貯金を残せる水準まで支出を抑える必要があるでしょう。そして稼ぎが少ない人間はとにかく軽視される!将来のパートナーや家族との関係にも大きく影響しそうです。

 

この場合の労働は「短期的面倒」にあたりそうだ!

 


ここまで「短期的面倒」を回避する選択が連続しましたが、次に回避したいのは「長期的面倒」であるこちら!

 

 

 


「自己嫌悪」

 

 

 


これは厄介。本当に。コイツは生きる活力を減衰させますし、正常な思考力を損なわせます。回避したい。

 


そして、自己嫌悪に対応する「短期的面倒」だと考えられるのは、

 

 

 


「品行方正な具体的行動」

 

 

 


マ〜〜〜〜〜ジで面倒くせえなコイツ。目を見て挨拶するとか、背筋を伸ばすとか、理性に基づいて計画的に行動するとか、家族に感謝するとか。そういう!生活のなかの!一瞬一瞬の積み重ね!これが!自己嫌悪の回避とトレードオフ!!!クソ面倒だ!クソ!だが引き受けざるを得ない!!!!

 


とりあえず今日は朝起きて出勤するまでの間に、外をランニングして、スーパーに行って米を買い、朝食と弁当を作ることから始めなければならないのだ。これは努力目標じゃない。眠気と労働、ひいては自己嫌悪から逃げる人間に課せられた当然の義務。義務を果たさない者に権利の行使は許されない。

 

 

俺は俺の人生に責任を持って、今の自分も未来の自分も両方大切にしなければならない。今と未来でバランスよく面倒を引き受けていくのだ。

 

 

 

 

ミッフィーちゃん!!!!!!!!!!

 

やりたいことをやるか、やれることをやるか、やりたくないことをやらないか

仕事。

 

 

 

しんどいけど楽しい。

 


楽しいけどしんどい。

 

 

 

今のところで働いて1年以上経った。できることも増えた。

 


人にも概ね恵まれて嫌なこともすくない。

 

 

 

ただ。

 


初めて、楽しいよりしんどいが勝った。

 


もうシンプルに労働時間がべらぼうに長い。割りに給料が少ない。

あと現場の人たちは好きだけど、上長の上長がかなりアホ。

 

 

 

 


朝起きてもう辞めようかなとおもった。

 


僕はそういう時の行動は早い。じゃあ次は何やろうか。塾講師とかいけるだろ。無駄に良い学歴を持ってる。大阪戻って北摂の金持ちの子どもに勉強教えるか。今より確実に給料は増えるだろうね。

 


。。。。。

 

 

 

しかしどうも後ろ髪を引かれる感じがある。

 

 

 

何でエンタメで働いているんだっけか。

 


他にやりたいことがないから

↑才能もないのに?

 


やりたくないことをやらないため。

↑結局現状やりたくないこともやってる

 


好きなことして生きていく。

↑死ね

 

 

 

んー、、、何でこんなに能動的にやりがい搾取されながら、この業界に縋り付いているんだっけ。。。

 

 

 

フラッシュバックする光景。思い出した。

 

 

 

JDeeZという女の子のダンスボーカルグループがあって、歌もダンスもうまいしビジュアルも綺麗なのにイマイチ人気のパッとしないほぼアイドル。大学4年のときの推しグループ。

 


2019の年始ぐらいか?まあそのあたりに東京のライブハウスにJDeeZを観に行った。その時なぜだか僕はライブに没頭できなくて、ピントの合わないままステージを見ているときにハッとした。

 

 

 

光の当たっているステージで踊るJDeeZのメンバーと、暗闇のフロアに群れる名もなきファンAの自分。

 


自分の守護霊から俯瞰したようなその光景があまりにもショッキングに感じられて脳裏に焼き付いた。

大好きなグループの大好きなメンバーたちと、僕の間にハッキリと境界線があった。僕は何でもない肉塊。いてもいなくても一緒。群衆の一部。

 

 

 

僕もステージのそっちに入れてくれと思った。

 


自分が、大好きな人たちの仲間ではないことがひどく耐え難かった。

 

 

 

光り輝くステージと真っ暗闇のなかの自分。時折り思い出しては息切れしてしまう。

 


大好きな人たちの仲間に入れてもらいたかったからエンタメにいるのだ。大好きな人たちの仲間に入れてもらえないことが耐えられないからエンタメから離れられないのだ。

 

 

 

 

 

 

いつの間にか、とんだ呪いに縛られてしまったものだ。

 

 

 

 


これからもたぶん死ぬまで大好きだから仲間でいさせてください。

 

 

 

 

 

リアルを切ってる系浅慮フェミ女みたいな内省

今、色々あって足立区に住んでいる。10日後にはまた引っ越す。昨日ゴミを出したら、区が掲示してる分別表示があって、燃やせるゴミの分類にプラスチックゴミも含まれていた。おおらかで良い街だなと思った。f:id:mmmmmnnnnnnnn:20200404163639j:image

 


一昨々日に就職したが絶賛コロナ大不況エンタメ業界なので、ヒマだ。自社株が大暴落しててウケた。なので今日は13時に目を覚ました。のそのそとTwitterを開き、内田樹のツイートとリツイートをチェックしてコロナ情報をアップデート。政治とか経済とか何が正しくて何が間違っているのかパンピー(この場合のパンピーとはヒップホッパーではなく情報弱者としての我われ一般人を指している)には判断しようがないので、僕は次善策で内田樹を盲信することにしている。たつる以外のソースから情報を入れない。内田樹チェックが終わってやることもないので、いや本当はあるけど、とりあえず風呂に入る。シャワーを浴びて、時間もあるし湯船に浸かろうか。さあ本題はここから。

 


湯船に浸かる自分に思う。

 


なんだか体が強張っている。

 

 

 

 


体育座りのような格好。ひどい猫背。背中が曲がり、目線は下を向いている。

 


オイオイ今はこの風呂場にオレひとりだぜ?

 

 

 

 


湯船のフチに両足をかけてみた。目線を上にやる。天井こんな感じか。

 

 

 

 


おぉ〜、、、なんとも態度がでかい。

 


いや何も問題は無い。この風呂場には僕ひとり。態度がデカくたって誰に咎められることもないのだ。ただ、

 


ただ風呂場の壁と天井の丁度境い目ぐらいを見ながら、何故か、ちょっと、不安 なのだ。

 

 

 

、、、、。

 

 

 

 


目線が下に下がりそうになる。

 


アッ、

 

 

 

と思った。

 

 

 

不安の原因。それは自分の身体が視界にほとんどないことだった。

 

 

 

 

 

 

 


どういうこと???(by大勢の皆さん)

 

 

 

 

 

 

 


まあ正直、自分の容姿が全く好きでない。常に自分がブスでないか気になっている。

だから無意識で常に点検してしまっていたのだ下を向いて。

 

 


出来る限り自分を視界の中に入れて、乱れがないか確認している。

そういえば路上を歩いていて、ガラスとか鏡があったら絶対に自分を写す。

 

 

 

そうか。だから、

 

自分に自信がある、というか自分をあんまり不安に思っていない、というか自分を咎める他人の声を無視できる人

 

は、自分を過剰に点検しないから目線が上がっているし、

自意識が過剰な人間たちは下(自分)を見るのだ。

 

 

 

 

 

 

まあだから、自信をつけようとか、気にしないように訓練しようとか、整形しようとかでは無いけど。

 


風呂場でぐらいは上を向いてもいいよなとは思う。

 

 

 

 

 

オラオラオラオラオラオラオラ!!!!!!ソーランソーランソーランソーランソーランソーランソーランソーランソーランソーランソーラン!!!!!!!!!カレイの煮付けが食ベタイナ!!!!!!!カレイの煮付けが食ベタイナ!!!!!!!!!カレイの煮付けが食ベタイナ!!!!!!!!!!カレイの煮付けが食ベタイナ!!!!!!!!!!!!カレイの煮付けが食ベタイナ!!!!!!!!!!泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ泳げ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!f:id:mmmmmnnnnnnnn:20200404163716j:image

 

 

 

 

 

今日は帰ったら岩井さんのエッセイの続きを読むから金麦を買わなかった

 


せっかくだしコンビニで何か普段買わないものを買おうと思った。金麦ロング缶2本の代わりだから予算は412円。何買おっカナーー。

 


めっちゃ高いオシャレなボトルのオレンジジュース350円。いいね。買ったことないけどきっとおいしい。

 


でもなぁ。そこそこ喉が渇いてる。このお高いオレンジジュースをがぶ飲みするのはもったいない。高いもん。

 


うーーん。まーーー、いつもの紙パック1リットルオレンジジュース買うカーーーー。

 


ただそれだと予算が余る。なんかもう一個買おう。

おでん。焼き鳥。コロッケ。フランクフルト。。。うーーーーーーん。じゃあファミチキでw

 

 

 

結局紙パックのオレンジジュースとファミチキ。右翼ショッピング。守りすぎだよ自分。あ、袋いっしょで大丈夫です。

 


ファミチキ、、、おいしいw

 


今日のファミチキはコンディションがいい。たまに揚げてから時間たっちゃって固くなってるファミチキあるよね。今日はラッキーだ。

 

 

 

 


なんでさぁ、ファミチキはあるのに、ファミポークとかファミビーフがないんだろうね。

 


まあ結局、鶏肉が一番おいしいからね。

 


確かに。そりゃそうだわ。しょーもないこと考えた。すまん。

 


まぁでもさぁ、焼き肉とか行くと皆んなまずは牛と豚頼むよね。

 


そうそう。皆んな牛と豚の方が好きっぽいじゃん。鶏肉が一番おいしいのに。オレいっつも鶏肉とレバー頼む時ちょっとスベるんだけど。

 


レバーは置いといてさ、鳥よりも豚、豚よりも牛をありがたがる風潮あるよね。

 


レバー置いとかないでよ。まぁ牛はやたらに有り難がられるてるよね。牛だけA5だなんだっていって細かく格付けしてあるし。A5の鶏肉とかないもんね。和鶏もないし。

 

 

やっぱさぁ、鶏肉は安いからダメなんだろうね。安いものに飛びつくのってきっと恥ずかしことなのよ。

 

 

高ければ良いってもんじゃないのにね。貼られた値札でしか価値判断ができなくなってるのよね。豊かになると感性が鈍る。

 


自分の身体感覚の直感にもっと素直になってくれ。どう考えても鶏肉が一番うまいから。ファミポークとファミビーフがないのがその決定的証拠。

 

 

 

 

脳みそのゲボ

 

 

 

イケメンになっておけばよかった

 

 

 

恋愛を辞めてから結構たつ。一番の理由は疲れるから。僕は 目の前の人間が不機嫌になるととても傷つく という不治の病を患っているので、同じ空間に他人がいる間は常に顔色を窺い続けてメンタルヒットポイントをすり減らす。自室以外は全て毒沼。僕の視界は紫の地獄だ。

好きな人が目の前にいたら尚更である。好きな人=命に代えても嫌われたくない人 なので、本当に死ぬ寸前まで気を遣ってしまう。自分の言動が相手の気に障らないように指先まで緊張を張り巡らせ、会話を10手先まで先回りさせ続ける。詰め将棋ならぬ詰めコミュニケーション。略して詰めコミュ。詰めコミュの厄介なところはなんといってもコレ。詰まない。終わらない先読み。自室に戻っても感想戦が続く。あの会話の広げ方は間違いだった。あそこはもっとコミカルに相槌を打てた。あの発言は自意識過剰だったかもしれない。終わらない。

 

二番目の理由は、単純に、趣味が多い。好きな事やりたい事。多い。

女の子とデートに行くこと と オードリー若林さんのエッセイを読むことの楽しさは、たぶん同じくらいだ。女の子とデートに行くこと と オタク先輩Sくんと地下アイドルを観に行ってその後安酒キメることの楽しさも、たぶん同じくらい。恋愛に割くエネルギーは割り算の分母が増えるほどに減る。

僕は 僕が恋愛するのに必要とする莫大なエネルギーをもう用意できないのだ。


ここの説明が面倒なので僕はよく ボク性欲無いんだよねーw とかいってお茶を濁しているが、そんなこたぁ無い。梅田を歩くと5分に一度は かわいい。付き合いたい。とすれ違いざまにつぶやく。
昨日はラインで どこで飲む と訊いて トリキ行きたい。と返って来たときに いいオンナだな。付き合いたい。と思った。正直、飲み会に金なんかかけたくない。バエたところで腹は膨れないし酒は進まない。ただやはり、女子が加わる飲み会はさすがに気を遣う。女子にフライドポテトを食わせる男に人権はない。はぁ??フライドポテトめちゃめちゃうめぇだろブチ殺すぞ!もうぶっちゃけトリキでいいのだ。安いし。おいしいし。
この女は 男に トリキでイイ?w って言わせないどころか、トリキに行きたい と自ら言うことで女子にバエないフライドポテトを食わせる後ろめたさも抱かせない。本人が行きたいと言っているからだ。 トリキでいいよ。ですら言ってもらえるとかなり助かるのに、トリキ行きたい はそれを上回る。行きたいっていうからしょうがなく連れて行ってあげた という男のしょうもないプライドを立てる効果すらある。そして当日トリキの前で 私トリキの山芋のやつめっちゃ好きなんだよね〜! みたいに無邪気なバカのフリをするのだろう。いいオンナだな。かもねぎちゃんの話です。まだ言ってなかったけど、声かけてるやつ17時半にビッグマンに集合な。


でも実際に付き合うための行動は起こさない。それに付随するであろう面倒ごとが一気に脳内を駆け巡るから。恋愛のネガティブサイドを付き合ってもねぇくせに先取りしてしまう。全身にブレーキがかかる。推しアイドルのツイッターとインスタにいいねをつけて金麦を飲んで寝る。
そんな感じで性欲が無いわけではないのだが、すぐ萎えてしまうのだ。そこを乗り越えたいと思うほどの情熱が湧くこともない。おひとりさまもそれなりにかなり楽しい。

 

 

 

 

 


ただ今日だけは、違った。

 

 


今日も今日とてエスニック雑貨を売っていた。ただ連休明けは客が少ねぇ。眠い。指輪コーナーのポップをダラダラ張り替える。そこに彼女が現れた。


20くらい。幼めな面影が残る。グレーの布地に白い花柄の着物。鼻緒の赤い下駄を履いている。トトロのさつきちゃんが椿油つけて櫛でとかした みたいな髪型。ボブ とか マッシュ とかそんな名前付いてない。自然な。


エスニック雑貨店にあまりに不釣り合いな装いに思わず目を奪われた。綺麗だった。年頃の子が憧れるのとは対局の、奥ゆかしい和装が似合っていた。着物の非日常を誇張する肥大した自意識も感じられなかった。着物が生活の一部にあるのだろう。
一気に鼓動が早くなる。血液が波打つ。顔の造形が整っている とか イイ匂いがする とか 愛嬌がある とか五感で認知できる要素を超えた ナニカ に釘付けにされた。とにもかくにも何はともあれとにかく僕は


好きだ!!!!めちゃめちゃ好きだ!!!!


と思った。


どうしよう!?どうしたらいい??!! あぁ今日ワックスつけるのサボったから髪ボサボサだ。髪ボサボサのダボダボエスニック丸眼鏡猫背優男ショップ店員だ。こんなやつに話しかけられても気持ち悪いよなぁ。しまったなぁ。どうしようなぁ。着物ステキですね。これからどこか行かれるんですか。 かなぁ。でも日常的に着てるんだとしたら、またこの質問かよ。何もなくても着物着たっていいだろ。とか不愉快に思われたりしないだろうか。いやでも似合ってるのは確かだし、それを褒めるんだから何も不自然なことはないはずだよね。いやでもまずはあえて着物に触れずにいつも通りに接客して、そこから自然な流れで、いやでも…

 


アノー チョットイイデスカ

 

 


!!!!!!!!??????????

 

 

 

 


突如、背後から呼び止められた。

 

 


振り向く。

 

 

 

チャンダン香を持ったババアが僕を見つめていた。

 

 

 

は?

 

 

 

 


意味が分からない。何でこのチャンダン香を持ったババアは俺を見つめているんだろうか。こちとら忙しんだババア!!ちょっと黙ってろや!!!!いやスマン 俺店員か!! ハイ!何かお困りデス!!??


…。

 

 

 

 


お香初心者のご婦人の接客が終わる頃、店内に着物のあの子の姿はなかった。

 


いやでもたぶんもし仮にチャンダン香ババアがいなかったとしても、僕はあの着物ガールに一度も声をかけられないまま退店を見送ったのだろうと思う。思考をぐるぐるコトコト回して終わりだったろうな。
結局、オトコとしての自分に自信がないのだ。
好きだ と思うのと同時に 釣り合わない と思っている自分もいた。あんなにステキな女の子が自分如きの人間を受け入れる道理がない。人間関係を建設するメリットがない提供できない。自分にもっとオトコとしての魅力があればなぁ。自分がもう少しイケメンだったらアクションを起こせたかなぁ。イケメンだったらよかったなぁ。
黙れバカ。お前は少しでもイケメンになる努力をしたか。今日だって髪すらセットしていない。運動もせず身体はガリガリで貧弱だ。不摂生で顔色も悪い。肌も荒れている。この程度の自分磨きすらしなかったことのチリツモの産物なのだ。今の自分は。初めて経験する一目惚れ。人生の大舞台。身動きひとつとれない。来たるべきチャンスに備えず、みすみすそれを逃した。自業自得だ。笑っちゃうね。負け犬め。自分に罵られる気分はどうだよ。最悪だね。

 

 


せめて好意を伝えるだけでよかったのに。やり場がない。燻ぶる。